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笹沢左保『空白の起点』

※本記事は『空白の起点』のネタバレを含んでいます

 笹沢左保『空白の起点』を読んだ。笹沢左保はこれが初読みである。いつか読もうと何冊か積んでいた気がするものの少し前から復刊され始めた。と思ったらもう5冊も出ているということでその速さに驚いている。『空白の起点』、とても丁寧で昭和の良き本格ミステリと思うもののこの時代に少し合わないなと感じた。

 小梶鮎子は走行中の急行列車の窓から転落死の現場を目撃する。なんとその転落死をした男は小梶鮎子の父親だったのだ。列車に乗り合わせた保険調査員の新田純一は、その男に複数の保険がかけられていることを知り、詐取目的の殺人を疑う……

 本作のトリックは大胆だけでなく、プロパビリティーの犯罪とも言われる一種の賭けの上に成立している。それを支える地盤とも呼べるものが犯人の「動機」であり、新田や鮎子を取り囲む男と女の描写である。新田は、仕事は優秀だが、他人との慣れあいを好まない男である。どこか影のある人物なのだが、全くの孤高であり、他人に一切の興味がない浮世離れした人かと言えばその通りではなく、過去のトラウマをきっかけに人を信じられなくなり、陰湿とも言える性格になったのだ。そのため、新田の女性を見る目はかなり俗物的に描かれている。新田の同業者の初子は、影のある新田に好意を抱く。彼の眼差しを自分だけのものにしたいという欲望と新田との関係を持ったあとの描写はかなり露骨に描かれている。新田は初子を疎ましく思うものの、事件の情報を握る彼女から情報を得るために彼女の気持ちを利用するのだった。さらに本作には鮎子というもう一人の重要な人物が存在する。新田は鮎子に自身に重ね、彼女に興味を抱いていく。とある場面では、鮎子に対し新田が男性として本能であるような征服欲を自覚するシーンが描かれると同時に鮎子も自身の女性性を理解し、それを持って新田を利用しようとすることが描かれている。

 このような男女の関係が全体を通して描かれていることで、鮎子が抱える悩みと被害者であるはずの男の異常性が物語に哀愁を漂わせ、この大胆すぎるトリックを紙一重で成立させたことに成功している。だからこそ「四つの条件が交差した」偶然が必然に変わる瞬間がとても美しく見えるのだ。

 上述したとおり本作においてはこの男女の描写は明らかに意図的に描かれており、メイントリックを成立させる(成立したように見せる)ための必要なものである。しかし、こういった描写は現代においてかなり古いと感じざるを得ない。少なくとも私にはそう感じた。もちろん当時は違ったのは理解しているつもりだ。この男女の描写は本作を評価するうえで切り離すことはできないので当時は評価されていた良い本格ミステリだと思うものの、現代においてはあまり評価されないのではないだろうか。

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