2024年3月30日『今夜ヴァンパイアになる前に』

 急な転勤で岐阜から本社(名古屋)に移って2ヶ月が経った。仕事はこれまでの仕事の延長線上にあるものの、その内容や進め方、必要なスキルが全くもって異なることに驚いた。悪戦苦闘しながら手探りに仕事を進めた2か月だった。仕事への向き合い方を根本的に変えなければこの職場ではやっていけない予感がし、「変わらないと〇〇さんのようにメンタルになるよ」と冗談にもなってない事を先輩は言った。

 プライベートのことで言えば、岐阜から転勤するにあたって職場の近くの寮に入ることにした。彼女との将来を考えると少しでも三重に近い場所で部屋を借り、同棲に向けた一人暮らしを選んだ方が良かったように思う。ただあまりにも転勤が急だったのと、仕事が大変になることを見越して結局会社の寮を選んだ。仕事に慣れたら今年中には三重で部屋を借りようと計画しているのも、彼女との将来に向けた1歩をどこかで踏み出さないとそれ以上前に進めない気がしてしまうからだった。

 仕事とプライベート、その両方にわたって自身が変わらなければならないというプレッシャーが漠然とした不安や悩みの種となっていた。変わらなければならない、変わることが出来るのか、変わった自分はどのようになるのだろうか、そんなことばかり考えてしまう。

 変わった自分について想像を働かせた時に、その自分は誰かに似ていると思った。それは『花束みたいな恋をした』という映画の菅田将暉が演じた山音麦だった。大学を卒業して有村架純演じる八谷絹と同棲を初めた二人が就職活動を経て社会人になるにつれて二人のすれ違いを描いた映画だ。山音麦が社会の渦に飲み込まれて、好きだった趣味や本当に大切な存在である絹のことが見えなくなった姿に、変わった未来の自分を重ねる。もちろん大げさな例えではある。ただ、方向性は間違っていない。映画を観た時には共感できなかった部分が今となってシンクロすることに可笑しさを感じながら見失ってはいけないものを再確認出来たような気がした。

 L.A.ポールという哲学者の『今夜ヴァンパイアになる前に』という本を読んだ。今夜ヴァンパイアになれるとしたら、あなたはヴァンパイアになることを選ぶだろうか?この本は就職、結婚、出産など人生の岐路で大きな決断を迫られた時に、人は合理的な選択を出来るのか?という問いについてヴァンパイアを例に書かれた本だ。ヴァンパイアになること、つまり、自己を根本的に変容してしまう経験について選択する際、ヴァンパイアについて情報収集やシミュレーションをいくらしても、ヴァンパイアになった時に自分がどう感じるか、感じた結果どう考えるようになるかは、ヴァンパイアになって初めてわかることであるため、ヴァンパイアになる、あるいはならないという合理的な選択をすることは出来ないとL.A.ポールは指摘する。ではどう考えるか、ヴァンパイアになること、ヴァンパイアになって経験する出来事を、自分はどう捉えるか?自分が変わることを良いと捉えるか悪いと捉えるか、そのように選択することが大事だ、と。副題が「分析的実存哲学入門」とある通り、ヴァンパイアをはじめとした例題は分かりやすいのに、ではどのように意思決定するのか?という部分が専門的に書かれており、かなり難しく感じた。それでもどのように悩むことが出来るのかという意味では少し思考が整理されたように思う。

 先であげた『花束みたいな恋をした』の麦と絹の二人の問題や、家庭を持った友人の夫婦間の悩み相談や、先日したヴィム・ヴェンダース監督の『パリ、テキサス』という映画の感想会でもそうだけど、自分が変わることについてだけでなく、それ以上に、彼女が人生の岐路に立った時に自分は彼女にどのように寄り添りそうことが出来るのか、彼女とどのようにコミュニケーションを取ることが出来るのか?というのが大切であり、その点を見失ってはいけないことがわかった。当たり前と言えば当たり前のことである。その当たり前が難しいのだろう。

 『パリ、テキサス』の映画の感想会で、同監督の『PERFECT DAYZ』の話題になった。役所広司演じるトイレの清掃員 平山は、『今夜ヴァンパイアになる前に』で言うところの、自己を根本的に変容するような選択を選ばなかったような人物と言える。就職、結婚といった人生の岐路で、変わることを選ばなかった人物。変わらないことを選んだ人生と幸福。変わることをある意味強要されるような現代社会において、平山の選んだ選択は木漏れ日のように眩しく美しいように僕らの目に映る。しかし、やはりそれは平山のような生き方をしない限り、自分がどう感じるのかはわからないのである。『PERFECT DAYZ』という映画は自分を根本的に変えるような決断をしない選択を肯定的に描いた美しい映画だったように思う。

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