今日は映画を二本観た。黒澤明と黒沢清、『羅生門』と『CURE』。せっかくなので芥川龍之介の『羅生門』も読むことにした。読書をしていると、外では季節外れの花火の音が聞こえるのが印象的だった。
『CURE』の主演を務めた役所広司は本当にすごい。精神疾患を患った妻を思いやる優しい言葉も、妻が自殺する幻覚を前にした涙も、そんな妻を疎ましく思っている感情も全てが本物であり、一つ一つにリアリティを感じ恐ろしいほどの迫力を感じた。妻の存在に悩む自分について、「俺はそれで良いと思っている。人間はこうあるべきだと思っている。」と言うもののその後には、「あんな女房の面倒を一生見ないといけないんだ俺は!」と声を荒らげるも、「俺は妻を許す」と理性を働かせる。高部(役所広司)のこの一連の感情の起伏が私の心に刻み込まれる気がした。だからこそ、ラストの反転があまりにもおぞましくてただただ怖い。だけど、そこに一抹の美しさを感じとることが出来るのがこの映画のすごいところだと思う。
『羅生門』(映画)は原作とは違い、エンタメ性に富み希望が抱けるようなラストも印象的だ。殺された貴族の夫、その妻、殺した盗賊、目撃者、起こった出来事自体はシンプルな構図だが、自身の見栄のために三者三様自分に都合のいい物語を語る。語る人物によって三人のキャラクターが少しずつ異なるのが面白い。さらに夫と盗賊による剣戟も語る者によって、勇ましい剣戟もあれば、情け無い剣戟もある。そこに映像の面白さを感じ取ることができる。それでいて原作のエッセンスも残っている。映画と原作で雰囲気が大分異なるもののどちらも人間の根源的な感情を描いている。