”私
は中年から仰向けに枕に就かぬのが癖
で、寝るにもこのままではあるけれども目はまだなかなか冴えている、急に寐就かれないのはお前様とおんなじであろう。出家
のいうことでも、教
だの、戒
だの、説法とばかりは限らぬ、若いの、聞かっしゃい、と言って語り出した。(泉鏡花『高野聖』青空文庫)”
頭痛とともに目が覚めた。息がほんのりと酒くさい。プロテインを準備しながら、これが二日酔いの頭痛かと思って頭痛薬を飲んでもう一寝入りする。
朝7時、頭痛は治まっている。しかし、覚えたであろう二日酔いの頭痛の痛みをきれいさっぱり忘れていた。朝ごはんを食べてもう一寝入り。
朝9時、今度は完全に起床して食器の片付けをする。なぜ、今日は何度も寝ているかというと、明日は高野山に紅葉狩りをしにいくため、4時に起床なのである。どうせいつものように4時に目を覚ますなら、今のうちから少しでも寝ておこうという算段だった。
高野山と聞くと泉鏡花の『高野聖』という短編を思い出す。「高野聖」とは、高野山を本拠にした遊行者(修行僧)のことで、日本各地に出向いては布教活動を行っている。『高野聖』では、その遊行者が旅の途中で出会った若者に自身が体験した不思議な怪奇譚を話す物語だ。せっかくなので青空文庫で再読した。
”むささびか知らぬがきッきッといって屋の棟へ、やがておよそ小山ほどあろうと気取られるのが胸を圧すほどに近いて来て、牛が鳴いた、遠くの彼方からひたひたと小刻に駈けて来るのは、二本足に草鞋を穿いた獣と思われた、いやさまざまにむらむらと家のぐるりを取巻いたようで、二十三十のものの鼻息、羽音、中には囁いているのがある。あたかも何よ、それ畜生道の地獄の絵を、月夜に映したような怪しの姿が板戸一枚、魑魅魍魎というのであろうか、ざわざわと木の葉が戦ぐ気色だった。息を凝すと、納戸で、(うむ、)といって長く呼吸を引いて一声、魘れたのは婦人じゃ。(今夜はお客様があるよ。)と叫んだ。(お客様があるじゃないか。)としばらく経って二度目のははっきりと清しい声。極めて低声で、(お客様があるよ。)といって寝返る音がした、更に寝返る音がした。戸の外のものの気勢は動揺を造るがごとく、ぐらぐらと家が揺いた。私は陀羅尼を呪した。(泉鏡花『高野聖』青空文庫)”
明日は寒いらしい。高野山の最高気温は6℃、最低気温は1℃。急な寒波に、片道3時間のドライブ、そして紅葉狩り。私は内心、心踊っている。