「ロマンス」と「戦争」ーー映画『枯れ葉』感想ーー

 2022年2月から始まったロシア・ウクライナ戦争は、2年9ヶ月が経った2024年11月17日時点で、今なおロシア軍によるウクライナ侵略が続いている。NHKによるとウクライナ市民の死者は少なとも11,973人(国連・2024年10月11日時点)であり、世界各地に滞在するウクライナ難民は675万2000人(UNHCR・2024年10月15日現在)にものぼる。8月にはウクライナ軍がロシア西部クルクス州へ越境攻撃を開始するなど、戦況は今だに熾烈を極めている。また、アメリカでは11月5日に行われた次期大統領選の投開票で、ウクライナへの軍事支援否定的なドナルド・トランプの次期大統領が決定し、今後アメリカがどのようにこの戦争に関わるのか注目されている。

 などと書いたものの、ロシア・ウクライナ戦争はイスラエルによるガザ侵攻と同じく、日本のメディアでは鳴りをひそめている。正直に言うと、私自身の関心も以前より低くなっていることを否定することはできない。こうしてブログを書くために自分からアクセスしなければ戦況も知らないといった具合だ。しかし、なぜ、こうして今、ロシア・ウクライナ戦争について調べているかというと1本の映画を観たからだった。

 フィンランド映画の『枯れ葉』は2023年公開されたロマンス・コメディー映画で、同年のアカデミー賞国際長編映画賞でノミネートは逃すものの最終選考15作品までに残った作品である。

 『枯れ葉』はヘルシンキを舞台に労働者で婚期を逃したであろう妙齢の男女の出会いを描いている。ストーリーに大きな起伏はないものの二人の演技や映像、音楽の美しさを最大限引き出している映画と言える。それは、とても美しい引き算の映画である。だが、ここに足し算のように加えられているものがある。それは、アンサ(スーパーで0時間契約者として働く女性)の家にあるラジオから流れるロシア・ウクライナ戦争のニュースーーそれは幾度となく繰り返されるーーだ。この美しい映画の余韻を味わう、あるいは映画について考える、あるいはこうして感想ブログを書くという際に、ラジオから流れるニュースを私はこの映画から切り離さすことが出来ないでいる。アル中のホラッパがアンサのために酒を断つ勇気や、二人が見た映画がジム・ジャームッシュの『デッド・ドント・ダイ』というゾンビ映画だったり、パブで流れていた曲を思い出すときにも、どうしてもこのラジオから流れるニュースの意味について考えずにはいられなかった。『枯れ葉』は、美しい引き算によって完成された映画であると同時に、ラジオから流れるニュースという一つの足し算によって、ロマンスの隣り合わせにある戦争をも同時に描いた映画ではないだろうか。