2022年、今村夏子同名原作『こちらあみ子』で映画監督デビューを果たした森井勇佑の2作目となる『ルート29』を観た。この映画は、詩人である中尾太一の『ルート29、解放』という詩集を下敷きにオリジナル脚本で描かれている。修学旅行中の中学生の路上喫煙の風除けに使われるようなのり子(綾瀬はるか)と、一人ローラスケートで町を走り、森でホームレスのおばさんと秘密基地を作っている少女ハル(大沢一菜)の二人が出会い、姫路から鳥取までの国道29号を歩くロードムービー。どことなく『こちらあみ子』のあみ子と重なる二人だが、ハルと過ごすことでのり子は人間らしい感情を取り戻していく。
と、あらすじを書いたものの、この映画はあらすじや予告からは想像できない奇妙な映画なのである。道の駅での二人の夕食のシーンでは、夜の光も入らない緑のカーテンの元、赤い服を着たおばさんが大きな犬二匹を連れてやってくる。他にも、ひっくり返った車に乗っていたおじいさんが二人に加わり森を歩いていく。そして均一的で人形のような人々。等々、シュルレアリスム的な映像と共に、現実はどんどん幻想(ファンタジー)に侵食されていく。現実と幻想の境界、生と死の境界を彷徨うように二人は歩いていく。
現実と幻想、生と死の境界だけでなく、映像や画に注目するとまた別の境界を歩いていることに気付いた。この映画はカメラワークが特徴的で、人物を正面に1~2秒ほど時が止まるようなカットが多々使用される。それは映像というより写真的だ。僕はこれらのカットを見ながら齋藤陽道の写真を、さらに連想ゲームのように牛腸茂雄の写真、いわゆるコンポラ写真を思い出していた。シュルレアリスムとコンポラの境界をこの映画は歩いている。特に齋藤陽道の写真集『感動、』は、この映画に奇妙な符号のようなものを感じないわけにはいかなかった。人物を正面に構えた写真から、昆虫や動物といった写真だけでなく、舗装されていない森の中の歩道の写真の隣ページには木の幹のような魚の写真がある。これらは、森の中を泳ぐ魚のイメージを想起させる。そう映画ラストの二人のそばを泳ぐ魚のように。齋藤陽道の温かくも優しい眼差しがファインダーを通じて相手に注がれているように、この映画におけるシュールな映像とともにあるコンポラ写真のようなカットには森井勇佑の二人を見守る温かい眼差しが内包されている。それは、ヤギ小屋で眠り夜を明かした二人の近くに大きな傘をそっと置いていくような温かさがこの映画をこの二人を包んでいるだ。