2024年11月10日(日)

 あっという間に心地よかった風が吹く秋が過ぎ去り、厳しい冬が来ようとしている。今年の夏に適応障害の診断を受けて休職中の私にとって、もう既に冬は強敵になる予感がしていた。突如として現れる得体の知れない不安も、夏の時期は空気を読むように、彼女や友人といる場合はなりをひそめていた。しかし、この不安は寒さと共に誰といてもお構いなしに来るようになった。彼女とコメダで本を読んでいても、ページをまたぐ瞬間に昨夜の悪夢がフラッシュバックして不安が襲ってくる。この前は彼女との情事の後、並んで横になって話をしている時にやってきては、私の声の調子や呼吸をかき乱し、ついには彼女に「不安なことは口に出した方がいいよ」と優しく心配される次第であった。

 昨日は友人が名古屋にやって来た。日暮れ頃に合流してビールを片手に四川鍋の辛さに二人して悶絶していた。親友とも言える友人に隠し事はしていない。自分の悩みをさらけ出し、友人の悩みを聞き、共感したりアドバイスしたりしながら、悩みを流すようにお酒を飲んでいく。眠れなくなった私の悩み、PMSの彼女を持つ友人の悩み、記念日にどういったものをプレゼントするか等々、話はつきない。その日は友人は私の部屋に泊まっていった。

 二人して頭痛薬と2Lのペットボトルの水を片手に座椅子、あるいはベットに横たわっている。友人は片頭痛持ちで、私は低気圧の頭痛がやってきていた。それが二日酔いの頭痛なのか、頭痛の種類はなんにせよ、お互いに頭痛で動けないでいた。「頭痛の時は何もする気が起きなくなる」と、友人は小さくこぼした。僕はその言葉にとても共感した。そして、共感だけではないある種の共同体のような一体感、お酒を片手にしている時には気付かなかった一体感を感じていた。そして二人はお昼に食べに行こうとしている蕎麦屋が開店するまで何もしないで過ごした。

 適応障害の自分、PMSの彼女を持つ友人と、私は『夜明けのすべて』という映画を思い出さずにはいられなかった。『夜明けのすべて』は瀬尾まいこ原作小説の映画で、パニック障害を抱える山添(松村北斗)とPMSに悩む藤沢(上白石萌音)の物語で、それぞれの悩みを持つ二人が、仕事の同僚という関係でなく、しかし、友人や恋人という一般的な関係でもない、ある種の共同体のような関係を描いた作品だ。私は、友人の「頭痛の時は何もする気が起きなくなる」という言葉をきっかけに友人を、そして彼女を、無意識にこの映画の二人の関係性に重ねてしまったようだ。

 友人を駅まで送っていく中、会話の途切れた瞬間に訪れた不安におびえる自分に友人は気が付いただろうか。もちろん気づくはずがない。それでも僕は、友人が僕のことを気にかけてくれていることを知っているし、友人もまた、僕が友人を気にしていることを知っている。それでいいのだ。

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